内藤 薫
感情的になる。
感情に支配されて人は行動するのではなく、自ら脚本して人は行動する
―スティーブン・R・コビィー―
この言葉を目にした時、特にドラマの恋愛感情に突き動かされて、愛する人のところへ向かったりという場面をよく目にするだろう。私も当然、日常をドラマのように置き換えて、感情に任せた言葉、行動をとっていると思い込んでいた。自分がドラマの主人公のように。
毎晩、娘が夜中にシクシク泣いて「眠れない」と言っている。いつも夜中に起こされて感情が爆発しそうになる。「睡眠時間が貴重なのだ」「眠れないという自分がかわいそうなだけだろ」そんな思いを巡らせながらも子育てにおいて感情的にはなっていけないと決めていたため、ものすごい我慢していた。でも昨晩ついに「うるさい、目を閉じていれば寝れる、泣くから寝れない」と声を荒げてしまった。結果余計に泣いてしまう。
私は、感情的になる自分の脚本を作成し実行に移すだけの状態にし、我慢という助走期間をもうけ、その脚本通りに自分が行動してしまったのだ。
ではどのようにすればよかっかのだろう。
真剣に眠れないという問題に一緒に立ち向かっていく姿勢が必要だったのかもしれない。とことん眠れない状況を聞き出して、愛情をもって一緒に生きていく。これが私がやるべきシンプルかつ正解な行動だったのかもしれない。
今もこうやって後悔の念に苛まれて、無駄な時間をつぶしている状況を客観視してみると時間を最大限有効活用する観点からも感情的になることの愚かさを痛感した。